何故、大麻は日本で禁止されることになったのでしょうか?
日本の法律で大麻に関する取り締まりを行う元になっているのが「大麻取締法」。
この法律が施行されたのは、1945年の第二次世界大戦の敗戦後であることをご存じでしょうか??
今回は大麻、大麻草の法規制と歴史に迫ります。
ではさっそく大麻やCBDの研究をしている「オアシス先生」の助手であり、研修生でもある「カンナちゃん」に登場していただきましょう!

みなさん、こんにちは。
研修生のカンナです。
今日は私が研究している「大麻」についてがテーマです。
大麻取締法が成立した経緯や大麻草に関する歴史をお伝えしましょうね。

カンナさん、宜しくお願いします♪
戦後から大麻が取り締まりされたのはちょっと意外でした。
GHQなどの意向なのですか??

Leafちゃん、さすがですね!
そうです、連合国軍総司令部(GHQ)が決めたのです。
経緯についてお伝えしましょうね。
第二次世界対戦後、 連合国軍総司令部( GHQ が「ポツダム省令」を日本に伝えました。そこに「大麻を含む麻薬の原料となる植物の栽培や所有を一切禁止する」という指令も含まれていました。
当時の日本政府は「麻薬原料植物の栽培、麻薬製造と輸出・輸入を禁止する法案」を施行、 それまで日本の国産物でもあった大麻は、栽培、利用を禁止されることになったのです。

そうなんですね。。
全然知らなかったです。
これってアメリカでも大麻が禁止されていたからなのですか?

そのとおり!
当時のアメリカでは大麻は禁止されていました。
次になぜアメリカで禁止されていたのか??に迫りますね
実はアメリカでも大麻草は20世紀の初め頃まで医薬品として重宝されていましたが、1937年にマリファナ課税法案が施行され、禁止となってしまいました。
「 大麻を使用したり、大麻関係の仕事をするなら税金を納めること」 という法律なので、大麻の使用をしている人だけでなく、大麻の輸入・製造販売などに携わる人たちも高額の税金を収めなければならないことになったのです。そして1939年に大麻を全面的に禁止する「大麻禁止法」が制定されました。

ただ、これらの法案で「大麻の茎と種」は大麻という定義に入っていなかったのはポイントですね。
現在の日本でも大麻草の「茎と種」については法律でも合法になっています。
この大麻が禁止された経緯で見逃すことが出来ないのが、アメリカ歴史のなかで悪法高い「禁酒法」です。1920年1月16日に施行され、1933年までの間に渡り、消費のためのアルコールについて製造、販売、輸送などが全面禁止となりました。
しかし人間は禁止されると一層やりたくなる、欲しくなる性質を持っています。当然ながら違法酒場がたくさん出来たり、外国からの密輸などが続々生まれていきます。そこで金と権力をつけたのが、あるアル・カポネなどのマフィアです。
当時のロックフェラーが残した文章が全てを物語っています。
禁酒法が提出された時、私はそれが大衆の意見によって、広く支持される日が来ることを望みました。そして、アルコールの凶悪な影響が認められる日が、すぐに来るだろうと思いました。しかし、これが私の望んだ結果ではないと、不本意ながらも信じるに至りました。
飲酒はむしろ増加しました。不法酒場がサロンに取って代わりました。犯罪者の巨大な群れが現れました。我々の最高の市民の多くでさえ、禁酒法を公然と無視しました。法律の遵守は大いに軽んじられました。そして犯罪は、かつては決して見えない水準にまで増加しました。
そして禁酒法は終わりを迎えますが、犯罪者を取り締まりしていた多くの警察官、捜査関係者は存在しているままです。これら警察官である公務員の仕事も禁酒法が終わり、徐々に減っていきました。
また、一部の白人層は、勝手に国境を超えて増え続けるラテン系の人々が大嫌いでした。そしてラテン系の人は多くが嗜好品として昔から大麻を吸う習慣があったことに目をつけて、ヘンプ(日本語で麻)と呼ばれていた大麻草にマリファナという怪しいスペイン語をつけてドラッグに仕立てあげて、職を失いかけつつある警察官たちに仕事を与え、取り締まることにしたのです。

なんか陰謀の匂いがプンプンですね。。
国の公務員を失職させないことと、移民を取り締まることの両得を目指したんですね。

現代のトランプ政権のようにラテン系の移民をなんとかしたい一部の白人層と禁酒法がなくなり警察官に職を与えないといけない国家の事情が見事に一致したんでしょうね。
そしてこの「マリファナ禁止」を強力に進めたのは、アメリカ連邦麻薬局長官の ハリー・アンスリンガーです。彼はマスコミと手を組んで、大麻(マリファナ)を怖くて恐ろしいものと印象付けるネガティブキャンペーンを大々的に行いました。
大麻を吸引して大麻パーティをしている白人の若者が突然狂暴になり、人を殺してしまうという映画「Reefer Madness」を公開したり、 事故を起こした人の車から大麻を発見 !というニュースを大々的に載せたりなど、大掛かりなキャンペーンをアメリカ全土で実施したのです。これが今でも残っているマリファナのイメージにつながっていきます。
しかもこのキャンペーンには当時の大企業もたくさん絡んでいます。石油、石炭産業、製紙産業、医薬品産業などが大きく成長してつつある時代であり、大麻草のような植物から繊維、薬などが低コストで誰でも作れることは、大企業にとって「非常に都合が良くない」ことだったと言えますよね。
合成繊維であるナイロンも1935年に開発され、1938年という大麻の取り締まりが始まったあたりに市場へ出ているのも偶然ではないのかも知れません。

しかし当時のアメリカでは、これら大麻に関する規制と課税に疑問を持った人がいました。
当時のニューヨーク市の市長である「フィレロ・ラガーディア」です。
ラガーディア氏は1938年〜1944年に渡り、大麻(マリファナ)をチームを作って研究し「ラガーディア報告」を世間に発表をしました。
研究の結果は「マリファナは暴力を引き起こすものではない」というものでした。しかしアメリカ連邦麻薬局長官のハリー・アンスリンガーは、ラガーディア 氏、ニューヨーク医学アカデミー、研究を行った学者達を糾弾して、以降、許可なく研究や実験を行った学者は、速攻で刑務所に入れるぞ!と警告したのです。

そして1951年に「ボッグス法案」を成立させ、大麻は「麻薬」として初めて指定されたのですね。

そんな経緯と歴史があったんですね・・。
何らかの意図を持った権力のある人物が大企業やマスコミと組むと怖いんですね・・
その後、1970年に薬物使用と製造を全面的に規制する「規制物質法案」が可決されて、大麻はLSDやヘロインなどと同じく最も危険なグループの薬物リスト入りしたのです。
では、GHQから大麻・麻について規制を設けるよう伝えられた日本はどうしたのでしょうか??

え?もしかしてアメリカに言われっぱなし状態だったの??
ただ日本は「敗戦国」だから仕方ないのかな?

敗戦国ではありましたが「麻」は日本の大事な産業。
全面的に規制されると困る農家もたくさん存在していましたね。
規制されては生活に困る農民達の声をバックに、当時の農林省はGHQとしぶとく交渉を重ねました。
結果、「ポツダム省令」から2年後に「大麻取締規則」が制定されましたが、産業用大麻の栽培・所持は都道府県知事の許可があれはOKとなったのです。
また、布などの繊維を採るために麻を栽培する許可を受けた人だけでなく、国から許可を受けて大麻の研究をする研究員にも栽培と使用が認められるようになったのです。
そして1953年に「大麻の種子及びその製品」は取り締まり対象外となり、今では七味唐辛子などにも麻の種が入っていたりするのですね。

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